江藤 淳

江藤淳年表

1932   12/25  誕生
1956 24歳 「夏目漱石」  
1958 26歳

「奴隷の思想を排す」、

「若い日本の会」結成

 
1959 27歳 「作家は行動する」 砂川事件
1960 28歳 1/19 調印
    6/11 ハガチー事件
    5/19 新安保条約を強行採決
    6/15 樺美智子圧死
    6/17 在京新聞7社 共同声明(デモ隊の暴力批判)
    6/23 条約発効。岸内閣辞職表明
1961 29歳 「小林秀雄」  
1962 30歳 「西洋の影」  
1963 31歳 「文芸時評」  
1965 33歳 「アメリカと私」  
1966 34歳 「犬と私」  
1967 35歳 「成熟と喪失」  
1969 37歳 「崩壊からの創造」 安田講堂事件
    「表現としての政治」  
1970 38歳 「考える喜び」 条約自動継続
1999 67歳 7/21  死去

明治国家の理想とする正統的な保守派
 ⇔戦後保守派
 ⇔新保守主義派
敗戦による時代と国家の喪失
 →戦後神話の解体を通して主体の回復に挑む

1967 成熟と喪失 母の崩壊

母の息子に対する 拒否~~~カウボーイ
         保護過剰~日本、農民、定住
安岡章太郎「海辺の光景」
信太郎の母の圧しつけがましさ=近代に対する危機意識の表れであり
その恥ずかしさを逃れるために近代的な教育をするが、
それが結果として家の中における母と子を切断した.
父の権威は 信太郎母子の小宇宙を支える秩序の基礎であった。

敗戦により権威が崩壊することは
信太郎の成熟の最初の段階であり、信太郎の母との内密な世界の喪失の第一歩である。
権威の崩壊によって失われた 母親のエプロンのすえたような選択臭い臭いと
父がとにかく父としてどこかにいるという安心感 の堆積がないと 人は生きられない

*第一次戦後派 父との関係で自己を規定  左翼大学生

*第三の新人  母への密着=不良学生、「子供である大人」(母親との結びつきを隠す)
       (安岡章太郎、吉行淳之介、阿川弘之、三浦朱門)

 生活無能力者になった父
 ひとりの女になった母
 住む家を探して歩く息子  家を出て東京に行き近代に触れて個人になる
               →これ以前の近代小説にはない考え方である。

成熟するとは、喪失感の空洞の中に湧いて来るこの悪を引き受ける事である→個人になり自由になる

抱擁家族 小島信夫
=主婦にとって精神の延長、存在そのもの
夫婦=倫理、責任、利害を超越した自然的な結びつき (←俊介にとって 楽園)
 →人はイメージによって生きる。現実によって往きはしない。

妻の時子がジョージ(stranger)を迎え入れたとき、俊介の家庭のイメージは粉砕
近代、他人が 俊介を母の影から切り離す。
 →俊介の前に実在が現れる=喪失自由になる=あらゆる役割から解放=孤独になる

死=実在への接触=生に触れる
喪失とは一種の充実 ものに出会い、ものに放棄される=自由→成熟

家からの出発=近代が植えつけたことで 母、女への嫌悪の対象となる
ジョージは 国家であり父である
進歩の過程で社会が急激に崩壊

 父によって代表されていた倫理的社会が 母と子の肉感的結合に支えられて自然状態にとりこまれて腐食

俊介は 母の崩壊を体験→このような至福は許されない=怯えとなり戸惑う

*近代化の過程で日本人は置き去りにされ、不安と恥辱を感じるようになる
  そこで自然を抹殺し出発したいと考えるようになる

暗夜行路 時任健作
 *絶対者になることに戸惑いを感じない
 *責任を感じず 他者を救おうとしない
 *救済は大山の夜明けに自然との合体を体験する至福感のうちに与えられる
  →母を回復

日本記者クラブ 加藤典洋 2014.11.7

「戦後」の意味を考える 

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