備前渠用水

備前渠用水は、1604年 江戸幕府関東代官頭伊奈忠次により開設された埼玉県最古の用水路で、利根川から取水し、利根川右岸の本庄市、深谷市、熊谷市を潤す。伊那忠次は三河(現西尾市)生まれ、松平信康に仕えていたが、信康が秀吉により自刃させられると徳川家を離れた、しかしその後家康の伊賀越えに貢献、江戸幕府開設後、武蔵小室にて関東代官頭の一人となる。備前渠用水の名称は 忠次が備前守であったことに由来する。次男は忠治で利根川東遷など、父の事業を受け継いだ。

第一樋管頭首工 利根川の取水口

頭首工からの眺め 奥の山は榛名山

暗渠出口(ここから御陣場川に注ぐ)

分水工(御陣場川から取水)

分水工から第三樋門へ

第三樋門(本庄市久々宇)

第三樋門 由来

備前渠用水 案内板

第三樋門からの出口

第三樋門から備前渠用水を望む

備前渠用水説明板

備前渠鉄橋から望む

備前渠鉄橋

備前渠鉄橋

備前渠鉄橋ご案内

煉瓦工場専用鉄道跡 ご案内

 

 

 

 

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