川崎平右衛門 定孝

1694年(元禄7年)、武蔵野国多摩郡押立村(府中市)に農家の子として生まれる
武蔵野新田開発に功を成し、徳川吉宗・大岡忠助に見いだされ、代官となる。
その後、美濃に赴任、長良川からの五六川への逆流を防ぐ、牛牧閘門を設置、十二ヵ村の田畑を水害から守った。
人望厚く、川崎平右衛門死去の報を聞いて、遠く美濃から多くの農民が弔問に訪れたとのこと。

参考資料:
 興禅寺 川崎平右衛門記念碑(下記写真参照)
「代官川崎平右衛門の事績」渡辺紀彦 

府中の郷土の森にある、川崎平右衛門の像
府中郷土の森 川崎翁像

牛牧閘門(うしきこうもん)
岐阜県瑞穂市牛牧:JR穂積駅から徒歩45分

 

興禅寺内 記念碑
岐阜県瑞穂市十九条西
「樽見鉄道 十九条駅から徒歩10分 または牛牧閘門から徒歩45分

余談:
西美濃を横断して敷設された鉄道は、北から南に流れる用水路を何本も横断することとなったが、
その際に、「マンポ」(坑道の意味)を作り、その下を用水路が潜り抜けるようにした。 
この地域の「マンポ」は、独特なレンガづくりで、中でもレンガがねじれている状態で積み上げられたものを「ねじりマンポ」という。
参考:瑞穂市HP:瑞穂市マンポ分布図
ねじりマンポ(甲中吹橋梁)

宮東橋梁

一の町橋梁


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